冷静に伝えた。, 大震災発生後3日目から多角的な分析・検証的な緊急特番を4番組放送。 予測:地震予測:津波映像記録3.11あの日を忘れない[元動画]ニコニコ:sp.nicovideo.jp/watch/sm17061739 ※その他、各部署、スタジオ、撮影現場などで自主的に節電・省エネを心がけた。, 消火栓・階段避難車・AEDの各訓練を9月より毎月実施し、全社員・スタッフが災害時対応できることを目指す。, 3・11震災後の館内被災状況のパネル展示・震災時の社内映像の公開、防災グッズの販売などで防災意識を啓発した。今後も引き続き年間を通して不定期で開催する予定。, 震災発生後に携帯電話や固定電話など通常の連絡手段が使用できない状況が発生した。このような状況下の代替コミュニケーション手段としてSNS等のIP網の活用について研究をおこない、新規災害支援ツールの開発を行っている。, 緊急地震速報などを安定して放送できるよう必要な設備の導入を行い、被害の軽減を図った。, 2011年4月19日 福島県会津若松市内の小学校(避難している大熊町の2小学校合同始業式), 岩手県・・・13ヶ所:31箱分 宮城県・・・31ヶ所:123箱分 ※茨城県・・・2ヶ所:3箱分, ガチャピン・ムックとみちのくのなかまたちによるイベントの実施やCSRブースを設け、来場者による手書きメッセージで「ありがとうの木」を完成させた。, 「在京大使館"退避"相次ぐ…外国人が消えた東京…影響は?」(2011/3/23放送), 「『警戒区域化』へ警戒感・・・潜入!20キロ内の実態は」(2011/4/14放送), きらめきJAPAN「仙台ガスほぼ復旧…ガスマン奮闘に密着」(2011/4/18放送), 「震災から3ヵ月… 南三陸秋元優里キャスター再訪リポート」(2011/6/10放送), 「被災地のボランティアは・・・野島卓キャスター体験リポート」(2011/4/3放送), 「震災から半年・・・野島卓キャスター現地再訪・取材報告」(2011/9/10、11、18放送), 東日本震災から1年 石本キャスター報告「"安全確認をしても売れない"風評被害に苦しむ茨城」, 震災直後より、データ放送で緊急画面送出開始、携帯向け配信の差し替えをも実施した。後日「計画停電情報、防災・節電情報」送出開始。3月25日より避難指示エリア図及び「防災・節電情報」を追加送出。「ひとつになろう日本」バナー3月26日より追加送出。(日本赤十字社への義援金募金口座情報を掲載7月7日まで), 震災関連ニュースを広く到達させるために、報道局で運営している携帯電話向け有料サイト「フジニュースネット」(非スマートフォン向け)で3月25日から5月2日まで「社会」ジャンルにおいて通常有料部分の記事本文と動画を無料で閲覧できるようにした。, 被災した南三陸町の「被災前からそのとき」「そしてその後」を取り続ける町の写真屋さん佐藤信一さんの写真展を開催した。(2011/10/8~11/13), 震災から1年、三陸復興「希望に向かって震災から1年の岩手の歩み」写真展を開催した。, フジテレビグッズ販売店舗への東北地方太平洋沖地震被災地救援「フジネットワーク募金」緊急募金箱の設置(2011/3/11~4/30), フジテレビ英語・中国語・仏語公式HPで義援金の募集を告知した。(2011/4~2012/3/31), スタジオデスク等にFNSチャリティキャンペーンの募金箱を設置して、局員やスタッフへ震災への募金を呼びかけた。, 防災BCP(事業継続計画:Business Continuity Plan).定例会議への参加(2012/1月~通年), 災害時徒歩での帰宅に備え、水・食料などの帰宅支援グッズを社内で5月・9月の2回販売を行った。(今後も継続), 防災用対策冊子の全面的見直しを行い、全社員・スタッフに配布した。(2011/9月), 専門家による館内の什器の耐震補強の見直しを行い、のキャビネット・コピー機などの補強を強化した。. トイレのジェットタオル使用停止 【東日本大震災】国家存亡の危機180秒映像!地震津波の瞬間・ … (3)「安全情報・危険情報は優先順位を考慮し記事編集して速報する」人命と財産の保全の急務を達成するため, フジテレビ報道局は震災発生からおよそ3分後の2011年3月11日午後2時49分に通常番組にカットインする形で報道特別番組を開始した。特別番組はCMなしで61時間、CM付きでは82時間に及ぶもので、フジテレビ史上最長を記録した。ここでは東北での津波の来襲を生中継で伝えたほか、FNNの東北の3局からの中継リポート、東京における大量の帰宅困難者の現状、余震が発生した際の視聴者への冷静な行動呼びかけなどを行った。また福島第一原発について、原子炉水位の低下と周辺住民への避難指示に始まる一連の動きを逐次伝え続けた。, (1)大津波警報・津波警報・津波注意報を速報したほか、画面に地図を表示し続けて避難を促した。 窓ガラスに2011年6月~7月にかけて遮熱塗装を行った。, (3)夏期に向けて電力不足は深刻化し計画停電を回避するために、 明るい日中は消灯し、暗くなり人が居る時のみ点灯するように工事を行った。 今回の「わ・す・れ・な・い」では、東日本大震災の新たな映像を改めて発掘することに加え、自らの命を守り抜いた人々や、尊い家族や仲間を失った方々の証言を出来る限り集め、さらに被害の実情を克明に検証し、「命の記録」を辿ることであの日"生死を分けた境"はどこにあったのか、私たちはその時どうすれば良いのか、を提示した。, 東日本大震災以降、放射能という見えない脅威におびやかされている福島県・葛尾村で、決断を迫られる繁殖牛農家と酪農家を取材した。また、原発から何km離れているといった同心円的には測りきれない放射能汚染のメカニズムを日本原子力研究開発機構によるシミュレーションを基にひも解いた。, 番組600回記念企画として2週間にわたって放送した。 9 東日本大震災テレビ報道の検証 スはどのようであったか 被災地・被災者はどのように伝えられてい たか (1)「東日本大震災緊急特番第1部・検証なぜ被害は拡大したか」 ¯å¤§éœ‡ç½ã®ç™ºç”Ÿã‹ã‚‰25年を迎える2020å¹´1月より、防災・減災のために広く活用していただけるよう、朝日放送グループが保有する震災映像を多様な方法 … こり、人々はどう行動したのか」「復興支援と明日の防災のために何ができるか」をともに考えていくサイトです。 要請があったため、当社も節電を継続しつつ、無駄な電力使用を抑えた。 於)宮城セキスイハイムスーパーアリーナ総来場者数1万8,659人, イベント初日を「バラエティDAY」と銘打ち『THE MANZAI in みちのく合衆国』と『ピカルの定理』を公開収録。『THE MANZAI in みちのく合衆国』では、優勝者のパンクブーブーなど合計8組の漫才師が出演。岩手めんこいテレビ、仙台放送、福島テレビでも生放送した。 東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害である 。 大規模な地震災害であることから大震災と呼称される。 東日本各地での大きな揺れや 、大津波、 … 【東日本大震災】11th March '11. できるだけ無駄な電力使用は控え、ピーク時の電力使用カットの 岩手県約400人、宮城県350人、福島県750人。総数で約1,500人。, 発生から1週間は実質的に放送枠を拡大「全国からのFAXやメールを紹介」「ボランティアのやりかたの解説」なども紹介した。その後もデイリーのニュースで被災地の日々の動きを幅広く取り上げ続けたほか、ストレートニュースだけでなく被災各局やフジテレビをはじめとするFNN取材団が取材した企画を放送した。 『批判よりも提言に重点を置く報道』, フジテレビ報道局は元来、次の考え方で災害報道の準備を行っている。 (1)「災害を未然に防ぐ警告報道に努める」災害を極力小さな被害に食い止めるため。 (2)「災害発生は直ちに映像で報道する」被災地域に客観情報を伝えるため及び全国の世論と機関に客観情報を基に災害対処方法を考えるよう促すため。 さらに6月1日からは「復興第二章」シリーズを断続的に26回放送、南部鶏・チョウザメなどの名産品で復興に賭ける人々や、海外から炊き出しに駆け付けた有名シェフに密着するなどした。一連の取材は被災地各局からだけでなく、フジテレビから境・島田の両キャスターも複数回にわたって現地に赴き、取材を継続した。震災から1年と迎える2012年3月からは「3.11を超えて」を9回放送した。, 震災発生後~4月1日までは2時間すべてを全国ネットで放送した。震災発生1か月のタイミングでは安藤キャスターが福島県相馬市から中継報告を実施。「スーパーリポート」「スーパー特報」では被災者を継続取材したほか、大火災が発生した気仙沼市の火災原因を検証するなどした。 エントランス・エレベーターホール等空調停止 そのほか、各ディレクターやキャスターが取材を通して知り合った被災者に継続的な取材を行い以下のような特番や企画という形で送り出している。, 「知りたがり!」はニュース解説という番組の特性を生かして、東日本大震災で大きな被害・影響をもたらした原発事故・放射能汚染・放射線防御には特に力を入れて取り組んだ。放射性物質や原発などは、これまで一般国民には馴染みがない事柄だった為「難しい用語」を「分かりやすい言葉」に置き換えながら噛み砕き「分かりにくい仕組み」などを簡略な図などに置き換えるなどして分かりやすく、見やすく、詳しく伝えることを意図に臨んだ。, 「Mr.サンデー」は東日本大震災の発生当初から、17名いる番組ディレクターのほとんどが現地に入り、被災地でいま起きている現実や、そこに生きる被災者が抱えた胸中など、東北3県の状況を1年を通じ徹底的に取材してきた。 (3)「東日本大震災緊急特番」(2011/3/15 19:00~) ***** デッドヒイデイライト 黒騎士 mao asada gundam seed destiny stardust weather report 成田空港 リトルバスターズ op asmr 肳かき 約130人いる常駐スタッフのうち80人が直接被災地に足を運び取材を行い、東北出身であるメインキャスター小倉智昭が節目ごとに被災地に入り中継。地元出身者ならではの感性で被災地の"いま"を伝え、5月には原発近くの福島県南相馬市の実態をどこよりも早く伝えた。阪神淡路大震災の取材経験もある笠井キャスターが直後から現地取材。壮絶な現場を彼にしか出来ない手法で伝え続け2011年11月にはそれらをまとめたノンフィクション本「僕はしゃべるためにここ(被災地)に来た。」を上梓。印税は全て被災地へ寄付した。 オフィス棟エレベーター4台停止 特に4日目は、FNN報道特別番組と情報番組で全放送時間震災報道に徹した。5日目から8日目までもFNN報道番組が1日8時間以上、情報番組と合わせると、15時間以上の震災報道を行った。, (1)余震や誘発地震と見られる地震を断続的に報道。 14;46 - 22;54, 8h28min (East … 屋外エリアでは、夏のお台場場合衆国でも大人気だったB級ご当地グルメの祭典「B-1グランプリ」と「みちのく合衆国」がコラボ。「B-1グランプリ」出展のまちおこし団体がご当地グルメを持って集合し、用意した食事が全て完売。地元の経済復興に貢献した。 (5)被災地、被災周辺地域のライフライン状況を断続的に報道。 (実施期間:2011/3/16~2011/6/30), (2)節電を目的として、社内の冷房効率を上げるために、本社ビルの西側と北側を中心に きていたのか、その1日をあらためて当時のニュース映像 … 番組では3人のアスリート(チーム)の三者三様の「選択」を見つめながら、その生き様と真意を追いかけた。それぞれのアスリートたちは自分たちに出来ることを必死に探し、来る限りを尽くし戦った。「もしあなたが当事者だったら、どうしたと思うか?」常に前を向く彼らの人生の岐路での「選択」とその「真意」を描くことにより、アスリートと視聴者の心の「共鳴」を目指した。, 「すぽると!」では「3.11東日本大震災から1年」と題し、キャスター陣が自ら取材、2012年3月6日~3月11日まで連日帯企画を放送した。復興支援を行う2大スポーツのトップ・プロ野球コミッショナーとJリーグチェアマンの初めての同時対談を実現。 ョンノベルズ。アマゾンならポイント還元本が多数。一度購入いただいた電子書籍は、KindleおよびFire端末、スマートフォンやタブレットなど、様々な端末でもお楽しみいただけます。 伝言板メッセージは3月21日取材分から映像の公開をはじめ、6月21日まで3か月間行った。 『被災した人々の気持ちに寄り添う報道』 (2)未だ人命救助の手が及んでないところを取材で発見し報道。 Copyright © 2021 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved. メディア企業として情報を正確かつ迅速に伝えることはもちろん、一企業、一市民としてどんな支援ができるのかを考え行動しました。 出演者:加山雄三、キマグレン、TUBE、つるの剛士、RIPSLYMEなど, 「東日本大震災」の発生直後、12日深夜からスタートしたフジネットワーク募金の東日本大震災支援プロジェクト「募金」呼びかけについて、24時間放送を続けた。 (2011/3/13 19:00~) (6)徐々に明るみになってきた福島第一原発事故を速く、幅広く報道。技術的な内容が報道内容の核になるので有識者の解説を展開した。 東日本大震災 地震の瞬間 宇都宮 [自然] 3月11日 一般見学者用エレベーター2台中止 フジテレビでは、2006年のcsr推進室発足以来、多様なcsr活動を行ってきましたが、2011å¹´3月11日の東日本大震災発生後は、これまでの経験をもとにフジ・メディア・ホールディングズ各社、系列各局と協力し、それぞれの本業を生かした被災地支援活動を開始しました。 政府から昨年の使用最大電力から15%削減する電力使用制限令が発動されたが、 (24日笠井・佐々木アナ)(25日藤村・梅津・高橋アナ), 2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0という世界でも最大級だった東日本大震災。「激甚災害」に指定されたこの震災の被災者救済の一環として、3月13日午前0時20分よりフジネットワーク募金の受け付けを開始した。この緊急募金は4月30日まで行われましたが、その後も全国から善意が寄せられ、最終的な義援金総額は15億8,118万8,611円となり、全額を日本赤十字社に寄付した。, FNS28局が全国で募金活動を行い2億5,743万2,053円を公益財団法人日本ユニセフ協会に寄付した。この募金は、日本ユニセフ協会を通じて東日本大震災で被災した子どもたちの教育支援などに使われている。 被災地の被害状況、被災者の生活、原発事故の最新情報を迅速且つ正確に伝えると共に各種被害の検証・分析なども早い時期から行なった。また今回の震災が我々の生活にどのような影響を与えたのか、とりわけ原発事故の発生を受け視聴者が放射線に関する情報を正しく理解する為に必要な知識を客観的且つ 【フジテレビの募金額1億5,351万1,278円】 (6)震災関連ニュースを広く到達させるために、報道局で運営している携帯電話向け有料サイト「フジニュースネット」(非スマートフォン向け)で3月25日から5月2日まで「社会」ジャンルにおいて通常有料部分の記事本文と動画を無料で閲覧できるようにした。, 大震災発生後4日目以降も総力取材を続け長時間報道を行った。 『ピカルの定理』の公開録画では、渡辺直美が人気キャラクター"白鳥美麗"として初ライブを披露。, 2日目の「めざましライブDAY」は、郷ひろみ、AI、MONKEYMAJIK、西野カナ、ナオト・インティライミ、ルンヒャンが出演、熱気あふれるステージで観客を魅了した。また夏のお台場合衆国でも好評だったトミドコロのハグ企画をみちのく合衆国でも『トミドコロ春のハグ祭り』と題して実施。2日間で2,225人とのハグを達成。さらに屋外ステージでは、『マーサ春の歌祭り』で観客を盛り上げた。。, 毎年東京ドームで行われる"お祭り"と"食"の祭典、『ふるさと祭り東京』今年は、『がんばろう!日本』『がんばろう!東北』がテーマ。会場内ではチャリティオークションや地酒ブースを出展し、全額をユニセフヘ寄付した。 「スーパー特報」では「南気仙沼小学校の春」シリーズを4回にわたって放送、JIB-TV放送向けの英語ナレーションバージョンが「コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバル」で"Honorable Mention"を受賞したほか、「アジア・テレビ賞(Asian Television Awards)」にもノミネートされた。 ä¹± する場面もあったが,まだ揺れが続いている中 2011å¹´3月11日 東日本大震災 発生の瞬間映像集 - YouTube (ただし段階的に緩和。停止中のエレベーターの一部稼働、オフィス照明1/3消灯の解除など) åˆæ¼”出をしていた僕は、福島県相馬市の実家が被災。その後、自らカメラを回し「被災した実家の母」を撮り続ける―。日テレ・チーフディレクターが震災報道の裏側を語る。 震災ニュースを放送するだけがテレビ … 「1000年に一度の大災害」と言いながら、みんなもう忘れ去ってしまっているのでは・・・。時々、そう感じることがある。自分自身マスコミの人間でありながら、「月日と共に記憶が風化していく」現実は否めない。だからこそ「誰かが伝え続けていかなければならない」とも思う。, 東日本大震災当時、日本テレビの生情報番組の総合演出をしていた僕は、福島県相馬市の実家が被災。そしてその後、自らカメラを回し、「被災した実家の母」を撮り続けることとなる。, その中で感じた被災地のリアルな苦悩、葛藤・・・そして見つけた小さな希望。当時78歳で、一度は絶望のどん底にいた母が立ち上がっていく姿を見て感じたのは「ニッポン人の逞しさ」だった。, もうすぐ震災から5年。これは、テレビマンとして、被災者の息子として、これまで感じた事を綴った記録である。すべては「忘れずに伝え続ける」ために。, 震災後に、民放連の会合で各社の記者やデスク、ディレクターが集まり「震災報道」の課題や問題点を共有するために話し合ったことがある。, 甚大な被害を受けた海岸地域には遺体が累々と並び、とても正視できる状態ではなかった。それでもカメラマンは映像を撮り続けた。いかにひどい出来事であっても、視聴者に伝えるためには、映像として記録しなければならない。, しかし、ある社のカメラマンは、「どうせ放送出来ないのだから」と、はなから遺体を避けて、撮影したという。, 確かに今の日本のテレビが、遺体が累々と並ぶ光景を、そのまま放送するわけはない。しかしモザイク加工するにしても、もともと映っていなければ、放送しようがない。, どう放送するかはその時々の責任者にゆだねるにしても、映像財産として、「現実」を記録しておかなければ、次の世代にこの災害の真実を伝えられないのでは?, 今回の被害はそれだけ大きく、最前線で取材する記者やカメラマンも困惑していた。何をどうすれば良いのか、迷っていた。かくいう僕自身も。, 当時担当していたお昼の生放送番組「DON!」の一週間の生放送を終え、ほっと一息つき、翌週分の打ち合わせがてら弁当をかきこんでいるときだった。, 東京・汐留にある日本テレビのオフィスビルが突然大きく揺れる。その時僕がいたのは29階の会議スペース。ただならぬ揺れに思わず箸をおき、咄嗟にテーブルを握った。, 瞬間、背筋が凍りつくのを感じた。揺れは徐々に激しくなり、周囲からは女性スタッフの悲鳴が聞こえた。移動式ロッカーが右に左に激しくぶつかり、凄まじい音をたてていた。, 打ち合わせをしていた普段クールなディレクターは、机の下にもぐりこんだ。涙がでそうなほどの恐怖を感じながら、僕はひたすら「早くおさまってくれ!」と神頼みするしかなかった。, 瞬間、福島県相馬市でひとり暮らす母・順子の顔が浮かぶ。すぐに携帯から電話をするがまったくつながらない。卓上電話を使ってもダメだった。, 誰かの声に窓際に面した喫煙所へ駆けつける。見れば、お台場のフジテレビの裏手から、黒い煙が立ち上っていた。正直、「この世の終わり」かと思った。, 母は相変わらず連絡が取れない。そのとき耳に飛び込んできたアナウンサーの音声に、僕は思わず目の前が真っ暗になった。. 【東日本大震災】速報の瞬間(再) [政治] 前にあった動画が消されたようなので、つべより ステム障害 のため、3月下旬よりしばらく三井住友銀行に切り替えて行った。 フジテレビ (fnn/fns) フジネットワーク募金 映画の製作総指揮をとるのは、映画界の巨匠リドリー・スコットとトニー・スコット。同プロジェクトを今年2月末に発表後、応募があったのは、日本を含む12カ国(日本、英国、米国のほか、フランス、ドイツ、中国、南極大陸など)から約8,000件。300時間にもおよぶ、2012年3月11日の映像が届けられた。 (3)犠牲者・行方不明者の情報を断続的に報道。 フジテレビでは、2006年のCSR推進室発足以来、多様なCSR活動を行ってきましたが、2011年3月11日の東日本大震災発生後は、これまでの経験をもとにフジ・メディア・ホールディングズ各社、系列各局と協力し、それぞれの本業を生かした被災地支援活動を開始しました。 『原子力災害の現状と問題点を整理して伝える』 この報告書は、2011年3月11日から2012年3月31日までの約1年間に行ったフジテレビのCSR活動の記録です。 福島市在住の詩人、和合亮一は言う。「私たちの間には『東京目線』っていう合言葉があるんです」。福島の詩人がこの言葉に込めた意味とは何だったのか。東日本大震災から5年。メディアは日本を襲った未曽有の大災害とどう向き合い、何を伝えたのか。. (5)FNSのテレビ放送が見られない環境にある方のために、BSフジ・CS放送・フジテレビホームページ、民間動画サイトで地上波テレビのサイマル放送を実施。 (4)「地震から10日・・・今できること」(2011/3/20 22:00~), フジテレビホームページを媒介とするインターネットによる情報提供が出来るシステムを作り、テレビではなく、インターネットで伝えることを主とする取材を始めた。「安否を伝える」メッセージや、「被災地から伝えたいメッセージ」を取材しそのまま掲示板として誰でも見られるようにフジテレビホームページ上で公開。また各情報番組でもその一部を放送することで、その機能の周知することに努めた。 【主なテーマと出演ゲスト】※肩書は当時のもの。, 震災発生から1か月後にあたる当日の被災地を中継で結び、人々の祈りと現状を伝えた。スピークの境・島田キャスターの現地報告や、がれき撤去や今後の街づくりなどの問題点も検討し放送した。, 立ち入りができない福島第一原発20キロの警戒区域圏内の現状を伝える映像を特集したほか、事故から25年以上を経ても放射線の影響に苦しむチェルノブイリの現状を放送した。, 「こんな時だからこそ見たい、知りたい復興へのヒント」として、復興に立ち上がろうとする東北からの生中継を実施、復興への応援歌とし放送した。, 地震発生とともにはじまった自衛隊の活動は多くが記録を担当する隊員らによって写真やビデオに収められており、それらの映像を元に隊員へのインタビューや再現映像をまじえて自衛隊史上最大となった今回の震災派遣の全貌を明らかにした。, 地震発生から1年目、3月11日14時46分の瞬間を含む4時間生放送。安藤優子キャスターが、福島県の警戒区域を北から南まで縦断取材したほか、高島彩キャスターが、津波被害から立ち上がる宮城県の人々を取材。木村太郎キャスターは、岩手県・三陸鉄道が当日、初めて試運転を開始した区間から、移動生中継で伝えた。, 「提言する報道」を掲げて、震災発生直後の3月14日から各界の多彩なゲストを呼んで討論。「政治の役割、経済への影響、エネルギー問題」など多くの切り口で討論と提言を行った。, 3月13日未明から受付が始まったフジネットワーク募金による東日本大震災支援プロジェクトの募金について、災害特別番組や通常の放送内で断続的に告知を行ったほか、寄せられた15億円もの義援金を日本赤十字社へ贈ったことを放送した。, 「がれきの開拓者たち」(BSフジ)(2011/12/31放送) また原発事故による放射線量の実態も、「なぜ放射能が拡散したのか?」「今何を危険だと考えながら暮らしていけばいいのか?」など視聴者の喫緊の不安に対し、徹底的な検証取材を行ってきた。こうした取材を積み重ねた結果、番組としては1年を通じ多くの検証シリーズを放送。 また「文化芸能部」では発生直後から芸能界で広がった炊き出しや歌謡ショーなど「支援の輪」を紹介し被災者を元気づける姿を伝えた。 「福島県相馬高校男子バレー部の生徒たちと家族」 (3)生中継映像などを駆使したほか、FNN各局からの情報を集約し、被害の実態を伝えて、いち早い被災者の救出を促した。 「モンゴル人横綱白鵬」 シリーズ「市民映像ドキュメント」が7回、シリーズ「放射能を知る」が8回と長期的な検証取材として結実した。意識したのは、これだけの未曽有の災害・事故を前にして、視聴者がその時一番知りたい情報にどれだけストレートに向き合えるのかという点を常に意識。「独自検証」や「独自測定」という手法を武器に、自分たちの足で汗をかきながら丁寧に現実と向き合った。, テレビをはじめメディアの現状や未来を掘り下げていく「新・週刊フジテレビ批評」では東日本大震災以降、テレビ放送が始まって以来の未曾有の大災害を、「メディアはどのように伝えたのか…」という視点でレギュラーコーナーである"critique TALK"に各ジャンルの有識者を招いて意見を伺い検証した。, 放送開始から17年を迎える『ザ・ノンフィクション』震災直後このザ・ノンフィクションのプロデューサー・ディレクター陣により緊急プロジェクトが結成され、震災で最も多くの人々が亡くなった石巻市で懸命に生きる3組の家族を取材。通常、半年から1年かけて一つの作品を作り上げる彼らが、チーム一丸となり総力をあげて取材を行い、震災1か月後にこの番組を世に送り出した。, 震災後、当時まだ世に公開されていなかった映像や被災者の方々の証言を、時間をかけ丁寧に取材。その結果、震災の知られざる全容を伝えたこの番組は、当時日本でも大反響を呼び、世界中の優れた放送番組に贈られ映像界のピューリッツァー賞とも称される「ジョージ・フォスター・ピーボディー賞」を受賞。受賞によって、日本以外の方々にも被災の現実を知っていただき、「忘れない」思いを共有できる機会が増えることは大変意義のあることであり、今後も日本の復興の過程をしっかりと記録に残し後世に伝えていくことがテレビに与えられた社会的使命だと考えている。被災された方々の一日も早い復興を祈りながら、今後も「わ・す・れ・な・い」シリーズを継続的に放送していく。, 未曾有の災害で15,000余の方々が亡くなり、放送時点で3,000人もの行方不明者がいた。失った命の一つ一つには、必ず語り継ぐべきことがある。思い、教訓、運命・・・私たちに、今、出来ることは、その無念を心に刻み、その魂に祈りを捧げ、語り継ぐべき「失われた命のメッセージ」に耳を傾ける・・・こと。 応援総数(のべ人数概算) もうじき東日本大震災から10年が経ちます。 あの瞬間からの1日で人々はどこで何を思い、どのように行動し、ツイートしたのか。 その記録を地図上にまとめたサイトが公開されました。 内面で感じるというよりもよりわかりやすく外に外に向け、頭ではなく身体で解決する作品を目指した。日本人が身近な人々と力を合わせて復興に向け難局を乗り切ろうとする姿に、力ない人々が前向きに難問を乗り切るドラマになるよう努めた。, 東日本大地震では様々な人々の人生が変わり、地震・津波・放射能・次々と押し寄せる災禍に我々は翻弄されました。スポーツ界にも、この震災で今までとは違う人生を歩むことを余儀なくされ、新たな生き方を「選択」した人々がいた。 震災1年を控えた2012年3月9日には安藤優子キャスターが仙台市若林区の被災エリアから中継を実施した。, 「米で高まる原発不信」「被災地医療の最前線」「節電列島はいま」など独自の切り口で震災とその後の被災者の姿を追い続けた。震災発生1か月のタイミングでは秋元キャスターが南三陸町に展開していたイスラエル軍の国際医療支援に密着したほか、仙台市から中継を実施した。11回にわたった「きらめきJAPAN 復興の息吹」では、震災に負けない前向きな姿を取り上げて、被災地への応援歌とした。「福島最前線からの報告」は2月までに7回を数え、福島第一原発事故の余波と「見えない放射能」を相手に格闘する人々を取り上げた。7月には来日中だったIAEA(国際原子力機関)の天野事務局長に単独インタビュー、原発事故への日本政府の対応の問題点などを質した。, 地震発生直後に野島卓キャスターが宮城県石巻市を取材、街の様子や被災した漁師などの実態を放送した。さらに首都圏に避難してきた人たちの抱える問題や、行きわたらない義援金などについても取り上げたほか、週末に被災地で行われた様々なイベントなどを「きょうの被災地」として、まとめて放送した。9月には野島卓キャスターが再び石巻市に入り、地震から半年後の漁師の様子やインフラが戻らないために再開できない水産業の状況などを取材した。石本沙織キャスターは10月に岩手県山田町を取材、津波のため、経営していた病院を失った医師の3人兄弟を取材することで被災地での医療の問題を取り上げた。, 震災発生直後の3月20日には福山官房副長官や福島県の佐藤知事をゲストに招いて原発事故の検証を試みるなど、震災発生後のほとんどすべての放送で震災関連項目を取り上げた。ゲストには政府から官房長官や原発担当相・復興担当相らが出演。さらに岩手・宮城・福島3県の知事も出演して、現地の現状や要望を伝えた。政府が12月に「冷温停止状態宣言」をした後には平野復興担当相、細野環境相・原発事故担当相らが出演、復興への取り組みを聞いた。 (2011/3/13 22:00~) (4)被災者の避難に関する情報を断続的に報道。 『全国ニュースと地域ニュースの両立』 (実施期間:2011/12/1~2012/3/31) フジテレビ「わ・す・れ・な・い ~東日本大震災・命の記憶~」で紹介されたお店や商品の一覧です。当日に放送された情報もタイムリーに更新しています。 また「福島原町高校野球部の1年後」「川崎フロンターレ被災児童援助」「福島競馬復興への取り組み」「バスケ仙台89ersの復活ストーリー」Jリーグ・共に被災したチーム同士の開幕戦「ベガルタ仙台対鹿島アントラーズ」など、プロ・アマ問わずスポーツ各界の復興支援活動を「すぽると!」ならではの企画切り口で特集し、震災復興を放送を通じて支援を行った。, 被災地の少年野球チームの様子を取材し放送したところ、番組に対して野球用具の提供の申し出が全国から寄せられた。そこで、リトルリーグ東北連盟の事務局を務める仙台放送とも連携し、津波で貴重な用具を失った多くのチームに全国から集まった支援品を届けることができた。, 兄弟ピアノデュオ「レ・フレール」の密着ドキュメント、被災地を訪れ全てを失った子供たちに楽器と音楽をプレゼントする姿を紹介。, 震災後開催されたイベントをチャリティアコーステティックライブとして開催。そこで、ファンから募集した子供達への絵本とおもちゃが大量に会場に届けられた。番組ではその絵本とおもちゃを被災地に届ける模様に密着。, TUBEの呼びかけによって、神奈川県にゆかりあるアーティストたちが復興支援チャリティライブを行った。