二の丸御殿は全6棟の建物からなり、江戸初期に完成した住宅様式である書院造の代表例として日本建築史上重要な遺構です。江戸城、大坂城、名古屋城の御殿が失われた今日、国内の城郭に残る唯一の御殿群として国宝に指定されました。 旧三井家下鴨別邸. 大平印刷株式会社(本社:京都市 代表取締役社長:岩田昌久)は、地方独立行政法人京都市産業技術研究所と元離宮二条城「点字・触知図+音声ペン」開発の共同研究を進めておりましたが、この度実用試作品が完成いたしました。 元離宮二条城「点字・触知図+音声ペン」は、社会福祉 … 二条城前から妙心寺への乗り換え案内です。電車のほかに新幹線、飛行機、バス、フェリーを使用するルートもご案内。ic運賃、定期券料金、時刻表、運行状況、駅周辺の地図も確認できます。航空券予約、新幹線チケット予約、始発・終電検索も可能 二条城は「関ケ原の戦い」の翌年に天下普請で築かれてから、現在に至るまで長い歴史を刻んできました。400年以上にわたるその歴史についてまとめます。, 初代二条城は徳川家康の上洛時の宿所として1601年(慶長6年)5月に築城が開始されました。造営総奉行は京都所司代に就任した板倉勝重が、作事(建築)の大工棟梁は中井正清がつとめました。2年後の1603年(慶長8年)3月に竣工しましたが、天守は1606年(慶長11年)に完成しています。この天守は現在の天守台の位置ではなく、御殿の北西の場所にありました。また天守自体は大和郡山城からの移築説や新築説があります。, なお当初の城域は現在の二の丸部分のみでした。幕府は「二条城」と称しましたが、朝廷側は「二条亭」と呼んだそうです。, 家光は城域を大幅に拡張して本丸と二の丸の輪郭式縄張りとして、天守もあらたに(一国一城令で廃城となった)伏見城から移築しています(天守は新築説もあり)。この天守は天皇がのぼった唯一の天守でもあり、後水尾天皇は5日間の行幸の間に二度のぼり、「今が弥勒の世なるべし」と感嘆したと伝わっています。, また現在の二の丸庭園の位置に天皇が滞在するための行幸御殿が築かれました。この行幸御殿を後水尾天皇が気に入ったため、譲位して上皇となった1627年(寛永4年)、京都新城跡に造営された仙洞御所に多くの建物が移築されましたが、のちに火災で焼失しています。, なお行幸御殿にあった唐門はもとは伏見城のものだと伝わっており、1627年(寛永4年)の解体時に以心崇伝が譲り受けて南禅寺金地院に移築、さらに豊国神社の唐門として移築されています。この唐門は西本願寺唐門・大徳寺唐門と並んで、桃山の三唐門のひとつです(いずれも国宝)。, その後、秀忠が死去したのちに家光が上洛のために二条城に入城したのを最期に、幕末に家茂が上洛するまで約230年にわたり、二条城は表舞台から消え、荒れていました。1750年(寛延3年)に天守が、1788年(天明8年)には本丸御殿が焼失しましたが再建されることはなく、幕府は二条城を管理するための役職(二条在番)を設けましたが、将軍不在の二条城が幕府の政庁として使われることはありませんでした。, 1863年(文久3年)、皇女和宮の降嫁(こうか)に謝辞を述べ、攘夷決行の策を上奏する名目で14代将軍の徳川家茂が上洛し、その際は二条城から参内しています。この上洛の準備として、前年から改修工事がおこなわれ、二の丸御殿は全面的に修復されました。さらに1865年(慶応元年)にも家茂は再度上洛して二条城に入っていますが、すぐに第二次長州征伐の指揮を執るために大坂城へ移ると、そのまま病に倒れ、翌年死去しています。, 1866年(慶応2年)に将軍に就任した徳川慶喜は将軍として在位した一年一ヶ月余りを二条城で過ごしています。そして二の丸御殿は歴史に残る「大政奉還」を宣言する舞台となりました。しかし政権と将軍職を返上するだけでは事態は収まらず、1868年(明治元年)2月3日には明治天皇が行幸され、二の丸御殿・白書院で幕府討伐の詔を発します。この結果、徳川将軍家は逆賊となり、薩長を中心とする倒幕軍は江戸へと向かいます。, 二条城は若年寄・永井尚志に代わり、水戸藩士・梅沢孫太郎が留守役をつとめていましたが、新政府軍に接収されました。, 時代が明治に変わると、二の丸御殿は京都府庁舎として使用されました。二の丸御殿・蘇鉄の間には当時の職員が試し捺ししたと思われる「京都府」の焼印の跡があります。さらに陸軍省の所管に移されたのち、1884年(明治17年)には宮内省の所管となり「二条離宮」と改称しました。, いわゆる「二条城」の歴史はここで終わることになります。現在、二条城は城内全体が国の史跡に指定されていますが、正式な登録名は「旧二条離宮(二条城)」です。, なお、1885年(明治18年)から明治25年(1892年)まで二の丸御殿の修理がおこなわれています。また1893年(明治26年)から翌年にかけて、御所北東部にあった旧桂宮邸を本丸へ移築しました。これが現在の本丸御殿です。, その後、1915年(大正4年)には大正天皇の即位の際に開かれた祝賀会の会場として使用されました。このときに南門がつくられています。, そしてヨーロッパで第二次世界大戦が勃発する1939年(昭和14年)に宮内省から京都市に下賜され、以降「元離宮二条城」という名称となり、翌年から一般公開されました。しかし第二次世界大戦後には、GHQの意向で二の丸北側(現在の清流園のあたり)にテニスコートがつくられたり、東大手門前の堀川通は滑走路として使用されたりと、二条城も戦争や占領軍の影響を受けています。, 近年では、1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(世界文化遺産)に「古都京都の文化財」として登録されました。, 攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。(フォローするのに攻城団の登録は不要です), 播州の豪族赤松氏が起こした将軍殺し(嘉吉の乱)の顛末。播州生まれなので作中の敗走路の描写もよく分かり、この辺りを鎧をつけて走り続けたんだな、という風に楽しんでます。お家断絶からの復興までも、かなりドラマ要素が強くテレビドラマにして欲しいです。してくれないだろうな。, 攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック, お問い合わせ  お知らせ  ブログ  ニュース  ツイッター  Facebook  YouTube  動画アーカイブ  Instagram  グッズ販売  ライブラリ  一覧[ 城 | 団員 ], 日付は旧暦です。二条城に直接関係していなくても、関連していると思われる出来事も記載しています。, 本丸、二の丸、天守の増改築が完了する。9月に後水尾天皇が中宮和子とともに行幸(5日間)。, 旧桂宮御殿を本丸に移築し、本丸御殿とする。移築工事は翌年完了。あわせて本丸庭園を造成。, 文化財保護法の制定により、二の丸御殿6棟が国宝に、本丸御殿や隅櫓など22棟の建物が重要文化財指定に指定される。, 3月27日、勅使、二条城に至り、家康に太刀等を賜う。親王、公家衆、重臣らを招いて将軍就任の祝賀をおこなう。, 4月27日、公家衆、門跡等が二条城に至り、将軍宣下を賀す。秀忠、伏見城に帰る。6月4日、伏見城から江戸城に帰る。, 4月2日、勅使、院使、女院使を二条城に遣わす。親王、公家衆、門跡、二条城に至り、家康に拝謁。家康、義直と頼宣を大坂城に遣わし、秀頼の来見に応える。, 10月23日、家康、頼宣、二条城に入る。家康、藤堂高虎と片桐且元を二条城に召し、大坂城の形勢を問う。, 10月24日、勅使伝奏、二条城に至り、家康を慰労する。公家衆、諸大名も二条城に至り、家康に拝謁する。, 10月26日、織田信雄および五山僧徒、二条城に至り、家康に拝謁する。京極高政、二条城に至り、家康に拝謁する。, 10月27日、秀忠の使、二条城の家康に、秀忠が江戸城を発し、翌日藤沢に到着したことを報告する。南都一乗院尊勢、喜多院空慶、高野山宝性院深覚、片桐貞隆、石川貞政、池田利隆が二条城に至り、家康に拝謁する。家康、とくに玄隆を召して軍議する。, 10月28日、醍醐三宝院准后義演、南都大乗院信尊、堀川本願寺光昭等、二条城に至り、家康に拝謁する。, 11月1日、八条宮智仁親王、関白鷹司信尚、先関白二条昭実、同鷹司信房、同九条忠栄、および公家衆、門跡、僧徒等、二条城に至り、家康に拝謁する。丹波福知山城主・有馬豊および池田忠継、二条城に至り、家康に拝謁する。, 11月4日、右大臣近衛信尋、権大納言一条兼遐以下公家衆百余人、二条城に至り、家康に拝謁する。この後、公家衆、僧徒等、しばしば二条城において家康に拝謁することあり。, 11月6日、伊予松山城主・加藤嘉明の嫡子明成および毛利輝元の使者、二条城に至り、家康に拝謁する。高野山大徳院宥宮城、家康に拝謁する。, 11月11日、秀忠、二条城に至り、奥御座の間において家康に拝謁する。伊達政宗、二条城に至り、家康に拝謁し、宇治に赴く。今井宗薫、宗呑父子、監禁されていた大坂城を逃れ、二条城に至り、家康に拝謁する。家康、命じて堺に帰らせる。, 11月12日、上杉景勝、佐竹義宣、二条城に至り、家康に拝謁する。徳川義直、二条城を発して、木津に至る。, 11月13日、秀忠、土井利勝を二条城に遣わし、家康と密談させる。常陸麻布藩主・新庄直定、下総田子藩主・土方雄重、下野茂木藩主・細川興元等、二条城に至り、家康に拝謁する。, 11月15日、家康、二条城を発し、大坂に向かう。この夜、奈良に至る。秀忠、伏見城を発し、枚方に至る。【大坂冬の陣開戦】, 12月26日、公家衆、二条城に至り、家康に拝謁する。片桐且元、板倉勝重、二条城に至り、家康に拝謁する。家康、伝通院廓山を召し、仏法を談ずる。, 12月27日、秀忠、土井利勝を二条城に遣わし、大坂城堀櫓等の取り壊しのことを伝える。梵舜、二条城に至り、家康に三光双覧抄を献じる。, 12月29日、伝奏、二条城に至り、禁中儀式等七カ条を家康に示す。知恩院良純親王等、二条城において家康に拝謁する。, 4月25日、関東の諸軍、京都に到着する。秀忠、土井利勝と安藤重信を二条城の家康のもとに遣わす。家康、秀忠に翌日の二条城への登城を命じる。, 4月26日、秀忠、二条城に至り、家康に拝謁する。家康、秀忠、28日出陣と定める。徳川義直、頼宣、松平忠輝、家康に拝謁する。, 5月5日、家康、二条城を発し、河内星田に至る。秀忠、伏見城を発し、河内砂に陣す。義直、頼宣等も京都を発す。秀忠、家康の営に至り、軍議をおこなう。, 5月8日、大坂城落城。家康、二条城に凱旋する。鍋島勝茂、二条城に至り、家康に拝謁する。, 5月10日、家康、秀忠、諸大名と二条城において謁見し、浅野長晟、松平忠直等の戦功を賞す。, 5月13日、毛利秀就、中川久盛、寺沢広高等、二条城に至り、家康に拝謁する。僧衆も二条城に至り、家康に拝謁する。, 5月14日、大坂の町奉行、水原吉一、京都に潜伏するが発覚し、処刑されて首級を二条城西門に晒される。, 5月15日、公家衆、門跡、二条城に至り、家康に拝謁する。二条城において天台宗の論議あり。, 5月18日、秀忠、公家衆、門跡、大名等、二条城に至り、家康に拝謁する。二条城において因明の論議あり。, 5月19日、秀忠、二条城に至り、家康に拝謁し、8月まで滞在して、諸般のことを処置するように請う。家康、これを承諾する。, 5月23日、秀忠、二条城に至り、家康に拝謁し、密議する。二条城において天台宗の論議あり。, 6月30日、家康、片山宗哲等に命じて僧雲叔が献上した書籍を「数寄屋の御書院」にて校合させる。, 閏6月15日、松平忠輝、織田常真、梵舜、二条城に至り、家康に拝謁する。中井大和守正清、二条城に至り、法隆寺阿弥陀院の遺物を家康に披露する。秀忠、安藤重信を二条城に遣わす。, 閏6月17日、公家衆、門跡、諸大名等、二条城に至り、家康に拝謁する。家康、浄土宗の法文を聴く。, 閏6月23日、二条城において真言宗の論議あり。伊達政宗、二条城に至り、家康に定家自筆の古今和歌集を献じるが、家康は辞退する。, 閏6月26日、二条城において真言宗の論議あり。喜連川頼氏、浅野長晟等、二条城に至り、家康に拝謁する。, 7月3日、二条城において真言宗の論議あり。豊国神社の社僧・梵舜、数寄屋路地に用いる松落葉30俵を二条城に贈る。, 7月4日、秀忠、水野忠元を二条城に遣わし、家康に鱸魚を献ずる。二条城において天台宗の論議あり。, 7月17日、秀忠、二条城に入り、「泉水御座敷」で家康と拝謁し、「禁中並公家諸法度」を定める。二条城において能あり。, 7月20日、29日、家康、二条城「御書院ノ西、御数寄屋ノ廊下ノ座敷(八畳敷か)」において中院通村等の源氏物語の講義を聴く。, 8月1日、親王、公家衆、門跡等、二条城において、八朔を賀し、家康の帰国にあたり挨拶する。南蛮人、二条城に至り、家康に拝謁する。, 6月29日、秀忠、上洛して伏見城に入る。9月13日、伏見城から江戸城へ帰る(二条城は使用されず)。, 9月18日、秀忠、二条城に至り、藤堂高虎・小堀政一を奉行に任じ、和子入内に備えた女御御殿の造営を命じる。即日、江戸へ向かう。, 6月12日、関白・九条幸家等、二条城に至り、酒井忠世、土井利勝等と、和子入内を詮議する。, 7月15日、勅使、伏見城に至り、家光に拝謁する。家光、二条城に入り、秀忠に拝謁する。, 閏8月1日、暹羅(シャム)国使節、二条城に至り、大広間にて秀忠に拝謁し、書簡と献上品を奉呈する。, 1月、2月、幕府、名古屋城主・徳川義直以下、譜代大名18名(18藩)に命じて、二条城を修築する。, 5月、家光、後水尾天皇行幸を仰ぐため、二条城拡張、殿舎整備ならびに行幸御殿造営に着手(1626年9月まで継続)。, 5月28日、家光、上野高崎城主・安藤重長を、秀忠、秋元泰朝を、ともに大坂に遣わして、二条城修築助役の諸大名の家士を慰労する。, この年、家光、来るべき二条城行幸のため、二条城天守、行幸御殿を造営し、また伏見城の破却を終了する。, 4月2日、幕府、駿府城番・渡辺茂を二条城番(二条城在番)となす(二条城代の設置)。大御番衆30名を率い1年間勤務。, 3月28日、幕府、二条城を修理する。武家伝奏権大納言三条西実条、同権中納言中院通村等、二条城を見物する。, 6月23日、武家伝奏、二条城に至り、秀忠に拝謁する。公家衆、二条城に至り、秀忠に拝謁する。, 7月13日、秀忠、武家伝奏権大納言三条西実条、同権中納言中院通村、幕府年寄衆下総佐倉城主・土井利勝、同遠江横須賀城主・井上正就、同下総古河城主・永井尚政、所司代板倉重宗および金地院崇伝等を集め、二条城行幸の諸礼について議論させる。, 9月6日、後水尾天皇、中和門院と中宮和子を伴い、二条城に行幸。五日間の滞在。【寛永行幸】, 9月10日、女院、午前に二条城より還幸。天皇、再度天守にのぼり還幸の宴後、二条城を発つ。, 6月23日、幕府、青山幸成と安藤重長を京坂に遣わし、二条城当直等に関する覚書を授ける。, 行幸御殿、中宮御殿、四脚門、唐門などを仙洞御所(後水尾院御所)に移築する(1661年(万治4年)1月15日に焼失)。, 7月15日、伝奏、諸大名、御三家、家光に拝謁する。院使、二条城に至り、家光に太政大臣昇進を薦めるが固辞する。, 7月17日、勅使、院使が二条城に至り、重ねて太政大臣昇進を薦めるが、家光は固辞する。徳川頼宣を召す。, 7月20日、細川三斎父子、天海はじめ僧侶等、二条城に至り、拝謁する。板倉周防守を仙洞に遣わし、万葉集を院に進ず。, 7月21日、二の丸で、摂家、親王、公卿、門跡、殿上人、国持諸大名等を招き、猿楽を催す。市人も陪観を許される。, 7月22日、医官、連歌師、および京坂、奈良、堺、伏見の市人、二条城に至り、献上品を奉る。, 7月23日、京の町年寄を各町よりふたりずつ、本丸二の丸間の白洲に集め、御上洛の御祝として銀12万枚下賜する。家光はこれを北の櫓から見物する。, 7月27日、九条前関白幸家、二条城に至り、匂袋を進ず。院使、二条城に至り、万葉集を謝す。, 閏7月1日、伝奏、昵懇の公家、諸大名等、拝謁する。上皇、参議勧修寺経広を二条城に遣わし、家光に白蘭を賜う。, 閏7月4日、家光、仙洞御所に参内する。広所(二条城から移築した建物)で蹴鞠見物あり。, 閏7月9日、院より双六の盤が進ぜられる。中山王尚豊の使者、佐鋪、玉城、金武三王子、二の丸において家光に拝謁する。尚豊および三使から献上品あり。, 閏7月15日、家光、昵懇の公家、大名と二の丸で謁見する。御三家、譜代は小書院で謁見する。, 閏7月22日、蹴鞠観覧。御三家、諸大名、公卿等、観覧する。御三家、公卿は黒書院、国持大名は大広間、それ以下の大名は式台で饗応される。, 8月2日、一条昭良が参上。二の丸で御酒を進上。院より御簾と土佐絵の屏風を賜る。屏風を上段に立て、諸大名に拝覧させる。天海僧正と謁見する。, 8月4日、天海僧正参上。伝奏、公家ら参上。譜代大名に妻子を江戸に引移すよう申し渡す。, 5月23日、幕府、大番頭・保科正貞、同・安部信盛に、番士100名を率いて、同・渡辺茂に代わり、京都二条城を守衛させる。在番交替期を一年と定める。, 5月1日、寛文近江若狭地震により、二条城も被害を受ける。石垣や二の丸御殿に大きな被害。方広寺大仏は倒壊。, 2月11日、幕府、大番隊士禄百石以下で二条城を守衛する者に、米各二百苞を給付する。, 10月、二条城の破損部分の修理がおこなわれる(1713年3月に完了)。二の丸御殿の屋根はこの頃にはすでに本瓦葺きに。, 1月30日、宮川町より出火、御所、二条城本丸御殿および北側の隅櫓(北東隅櫓、北西隅櫓)等が焼失する。【天明の大火】, 8月8日、勘定奉行・根岸鎮衛等、仮御所および二条城その他の仮造営の竣工を賞し、物を賜る。, 7月2日、文政京都地震により、二条城も被害を受ける。黒書院、高麗門、太鼓櫓をはじめ、門、櫓、土居、天守台石垣などが破損。, 4月6日、女院御所内から出火、焼失町数は190余町、焼失家数は5400余となる火災発生。, 9月20日、幕府、松江藩主・松平定安に、将軍滞京の間の二条城警守を、篠山藩主・青山忠敏に同じく二条火之番を命じる。, 2月13日、徳川家茂、上洛のため江戸を発す。徳川慶喜、松平慶永、松平容保、山内豊信、伊達宗城、二条城に登城する。, 2月26日、徳川慶喜、松平慶永、徳川慶勝、松平容保、山内豊信、伊達宗城、二条城に登城する。, 2月27日、徳川慶喜、松平慶永、徳川慶勝、松平容保、山内豊信、伊達宗城、二条城に登城する。, 3月2日、幕府、高槻藩主・永井直矢に将軍滞京時の二条城警備を命じる。徳川慶喜、松平慶永等、二条城に登城する。, 3月4日、家茂、入京して二条城に入る。徳川慶喜、松平慶永等が出迎える。家光以来230年ぶり。この頃、二の丸庭園は枯山水風な庭園景を呈する。, 3月5日、在京諸藩侯、二条城に至り、将軍の上洛を賀す。家茂、御多門の道具類を見学する。, 3月8日、家茂、武器庫、天守台を見学する。徳川慶篤以下列侯25人、二条城に至り、将軍の参朝を賀す。本願寺光澤、二条城に使者を出す。, 3月9日、高松藩主・松平頼聰、二条城警衛の任に就く。松平慶永、政事総裁職辞職の内願書を提出する。伊達宗城、登城する。, 3月10日、勅使・坊城俊克、同・野宮定功、二条城に至り、刀を賜う。家茂加茂行幸を命じられる。黒書院において橋本実麗と面会する。, 3月17日、徳川慶篤、二条城に至り、詮議する。徳川茂承、山内豊信、黒書院において家茂に拝謁する。将軍後見職・徳川慶喜、老中・水野忠精、同・板倉勝静、参内し、将軍の暇乞いをするが、滞京を命じられる。慶喜等、二条城に至り、京都守護職・松平容保を召して詮議する。, 3月21日、徳川茂承、徳川慶篤等19人および布衣以上の諸有司、二条城に参集する。19日の勅書を披露する。, 3月22日、徳川慶篤、徳川茂承、伊達慶邦、上杉斉憲、細川慶順、池田茂政、浅野茂長、二条城に参集する。家茂、参内する。, 3月23日、伊達慶邦、上杉斉憲、細川慶順、池田茂政、浅野茂勲、久松勝成、松平頼聰、山内豊信、伊達宗城等、二条城に至り、内議し、次いで家茂に拝謁する。, 3月26日、伊達宗城、二条城に至り、家茂に拝謁する。上杉斉憲、細川慶順、松平頼聰、二条城に参集して詮議する。, 3月29日、伝奏・坊城俊克、野宮定功、議奏・三条実美、二条城に至り、家光に拝謁して詮議する。, 4月3日、萩藩世子・毛利定広、二条城に至り、家光に拝謁し、摂海防備の親閲と対馬防衛の方策とを建言する。対馬藩主・宗義達も列席する。, 4月7日、家茂、黒書院において攘夷決行を宣言する。松平昭訓を二条城に召して、滞京中の労をねぎらう。, 6月1日、家茂、宇土藩主・細川行真、萩藩支族・吉川経幹を二条城に召し、黒書院において面会する。, 6月13日、家茂、江戸へ帰るため大坂城を発し、順動丸に乗船して紀州由良港にて泊まる。14日、由良港を出港。15日、遠州灘を通過。16日、江戸に到着。, 8月18日、幕府、郡山藩主・柳沢保申、膳所藩主・本多康穣、篠山藩主・青山忠敏、高槻藩主・永井直矢に二条城の警備を命じる。【八月十八日の政変】, 12月8日、幕府、中村藩主・相馬充胤、松前藩主・松前崇広、大野藩主・土井利恒に、将軍上洛中の二条城の警守を命じる。, 12月25日、徳川慶喜、松平慶永、松平容保、黒田慶賛、長岡良之助、二条城に参集し、朝議参予に関し協議する。, 1月18日、幕府、将軍滞京中、二条城に登る者に、旅装を用いるよう発令する。松平慶永、蜂須賀斉裕、山内豊信、伊達宗城、二条城に至り、家茂に拝謁して、公武一和に関し、進言する。, 1月19日、島津久光、松平慶永、伊達宗城に伴われ二条城に至り、はじめて家茂に拝謁する。家茂、久光等を黒書院で饗応する。, 1月20日、勅使・坊城俊克、同・野宮定功、二条城に至り、家茂に右大臣宣下の内旨を伝える。, 1月22日、家茂、在京の諸侯および有司を二条城に召し、右大臣昇任を告げ、饗応する。, 1月24日、勅使・坊城俊克、同・野宮定功、二条城に至り、歳首を賀す。家茂、白書院において謁見する。松平慶永、山内豊信、伊達宗城、島津久光、二条城に至り、松平直克および水野忠精と会し、時事を詮議す。翌日、慶喜、慶永、宗城等、また会議す。豊信および久光は欠席。, 2月2日、松平慶永、伊達宗城、島津久光、二条城に至り、徳川慶喜、松平直克および老中等と勅書「去月二十七日所賜」および将軍奉答書の布告、横浜鎖港および萩藩処分等に関し、会議する。久光、横浜鎖港に反対する。, 2月5日、松平慶永、伊達宗城、島津久光、二条城に参集し、徳川慶喜、松平直克および老中等と時事を協議する。, 2月8日、徳川慶喜、松平慶永、伊達宗城、山内豊信、島津久光、二条城に至り、松平直克、酒井忠績、水野忠精、有馬道純と萩藩処分を詮議する。, 2月15日、幕府、在京の諸侯を二条城に召集し、「正月二十七日」の宸翰(しんかん)および家茂の奉答書を示す。, 2月16日、幕府、参与諸侯に、用部屋に出入りして政務に参与するよう命じる。伊達宗城、島津久光、登城する。家茂、宴を催す。, 2月19日、松平慶永、二条城に至り、老中に面会し、速やかに国是を一定し、在京の諸侯を帰藩させるよう建言する。, 2月20日、家茂、在京の諸侯を二条城に召集し、「正月二十七日」の宸翰に対する奉答の趣旨を示し、各々の所見を述べさせる。, 3月1日、幕府、二条城において朝廷尊崇のことを議論する。松平慶永、意見書を上申する。, 3月5日、幕府、二条城において萩藩の処分を詮議し、同藩末家、家老等を大坂に召喚するに決し、朝裁を請う。, 3月12日、伊達宗城、島津久光、長岡護久、同良之助、二条城に至り、徳川慶喜、松平直克および老中等と会し、諸藩士の諸公卿邸出入取締および萩藩の下関における外艦砲撃の阻止等を詮議する。, 3月14日、勅使・坊城俊克、同・飛鳥井雅典、同・野宮定功、二条城に至り、物を家茂および和宮ならびに天璋院に賜う。, 3月25日、徳川慶喜、禁裏御守衛総督ならびに摂海防御指揮となり、将軍後見職を解かれる。, 4月2日、蜂須賀斉裕、黒田慶賛、二条城に至り、家茂に拝謁し、帰藩を告ぐ。家茂、その滞京中の勤労を賞し、とくに斉裕に銃印を、慶賛に刀を賜う。, 4月10日、松平慶永、伊達宗城、長岡良之助、二条城に至り、暇を告ぐ。家茂、刀を賜う。, 4月18日、幕府、在京中の館林藩主・秋元志朝に、日光山警守のため急遽帰藩を命じ、二条城南猪熊口警守を解き、秋月藩主・黒田長徳にこれを命じる。, 5月4日、勅使・坊城俊克、飛鳥井雅典、野宮定功、二条城に至り、家茂帰府参内の礼に応える。, 5月7日、家茂、二条城を発し、伏見より水路大坂城に入る(16日、大坂を発し、20日、江戸到着)。幕府、家茂の退京により、中村藩主・相馬充胤に二条城警守を免ず。, 禁裏守衛総督・徳川慶喜、江戸より消火夫を召致し、御所および二条城近辺の防火にあたらせる。, 5月18日、幕府、二条城に蔵する銅器類から大砲を鋳造し、久世河原で試射をおこなう。, 9月12日、農孫右衛門(越後国魚沼郡十日町住)物価騰貴、庶民難渋により、外国貿易の停止を嘆願するため、二条城門外に至り自訴を企てる。, 9月15日、家茂、征長勅許奏請のため、大坂城を発して上京の途につき、翌日、二条城に入る。, 9月21日、家茂、禁裏守衛総督・徳川慶喜、京都守護職・松平容保、所司代・松平定敬、老中・阿部正外等を従え参内し、征長の勅許を奏上しこれを受ける。天盃、剣ならびに陣羽織を賜う。, 10月3日、家茂、大坂を発する。徳川慶喜、松平容保、松平定敬、家茂を伏見に迎え、江戸帰還を止める。, 10月8日、幕府、在京諸侯および麾下の士を二条城に召し、条約勅許の勅書および将軍辞職却下の請書等を示す。, 10月14日、京都夷川辺に、二条城近辺に事変が発生する恐れがあり、あらかじめ付近居住の老幼病者等は立退くべしとする貼紙がある。, 10月27日、幕府、広島藩家老・野村帯刀を二条城に召し、大目付・永井尚志、目付・戸川忠愛、同・松野孫八郎を広島に派遣し、萩藩主・毛利敬親父子伏罪に関し訊問させるため、同藩末家、家老および奇兵隊首脳者に11月までに広島に至るべきことを、敬親に伝致させる。, 2月7日、幕府、京都に文武場を開き、禁裏付、一橋家士および所司代、二条城番、京都町奉行等付属の与力、同心、別手組、見廻組士等に講習する。, 8月20日、幕府、家茂の死去発表。徳川慶喜、徳川宗家を相続し、軍制改革に着手する。, 11月1日、在京の諸侯および有司、二条城に至り、徳川慶喜に拝謁し、宗家継承を賀す。在府の者、登城し、老中に拝謁して慶賀する。越前勝山藩主・小笠原長守、水口藩主・加藤明実、二条城に至る。, 5月1日、慶喜、二条城に松平慶永、伊達宗城、島津久光を召す。久光、辞去し、慶永らは病と称して登城せず。, 7月10日、松平慶永、二条城に至る。慶喜、慶永の帰藩について慰論してその翻意を求め、また前佐賀藩主・鍋島斉正の意見を徴し、萩藩の処分を決行すべき旨を告げる。, 8月4日、松平慶永、帰藩のため、二条城に至り、慶喜に拝謁する。慶喜、上京以来の勤労を慰め、仏国製馬具および時計を賜う。, 8月16日、伊達宗城、帰藩のため、二条城に至り、慶喜に拝謁する。慶喜、勤労を慰め、物を賜う。, 10月12日、慶喜、松平容保、松平定敬ら在京有司を二条城に召見し、大政奉還の意思を伝える。, 10月13日、二条城大広間に在京十万石以上の諸藩重臣を召集し、老中より大政奉還決意書を示して諮問し、かつその藩主の上京を命じる。鹿児島藩士・小松帯刀、高知藩士・後藤象二郎、広島藩士・辻将曹、岡山藩士・牧野権六郎、宇和島藩士・都筑荘蔵、とくに慶喜に拝謁して、ただちに奏請せんことを勧説する。, 10月16日、幕府、在京十万石以上の諸藩重臣、旗本を二条城に召し、大政奉還勅許を示達する。, 10月17日、幕府、在京十万石以下の諸藩重臣を二条城に召し、各藩主の早々の上京を命じる。, 10月27日、幕府、在京諸藩の重臣を二条城に召し、征夷大将軍・徳川慶喜の辞表およびそれに対する朝命を布達する。, 11月20日、松平慶永、二条城に至り、慶喜に拝謁する。慶喜、大政奉還の趣旨を説明する。, 11月28日、松平慶永、鹿児島藩士・大久保一蔵、会津藩士・手代木直右衛門を招き、時局に関する各藩議を訊す。慶永、二条城に至り、老中・板倉勝静に、一蔵等の所論を告げ、慶喜に一蔵および鹿児島藩士・西郷吉之助等を説論するよう勧告する。, 12月5日、松平慶永、二条城に至り、慶喜に拝謁し、萩藩処置に関して会津藩がみだりに朝廷に意見することに反対する。慶喜、これを容れ、会津藩主・松平容保を戒める。高知藩士・後藤象二郎、松平慶永を訪ね、王政復古の企てがあることを告げ、山内豊信の入京までこれを延引させるよう斡旋を請う。翌日、慶永、藩士・中根雪江を二条城に遣わし、事情を慶喜に上陳する。, 12月6日、弾正尹・朝彦親王、常陸太守・晃親王、摂政・二条斉敬。左大臣・九条道孝、右大臣・大炊御門家信、前関白・近衛忠煕、前左大臣・近衛忠房、前右大臣・鷹司輔煕、内大臣・広幡忠礼以下議奏、伝奏等、斉敬邸に参集し萩藩処置を詮議する。斉敬、戸田忠至を通じて、二条城にある慶喜の意見を問い合わせる。慶喜、諸侯の衆議に従い、またもし天皇の裁断があれば異議ない旨答申する。徳川慶勝、二条城に至り、慶喜に拝謁し、萩藩を寛大に処し、内戦を防ぐよう建議する。, 12月9日、旧幕府麾下の諸隊および会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬等、兵を率いて二条城に参集し、王政復古の大変革を鹿児島藩の私意に出るものとし、城内騒擾(そうじょう)する。朝廷、慶喜に命じ、萩藩主・毛利敬親等赦宥(しゃゆう)を理由に争議を起こす者を戒めさせる。また徳川慶勝、松平慶永に命じて、これを鎮撫させる。慶勝、慶永、家士、茜部小五郎、田中国之輔、毛受鹿之助を二条城に遣わし、老中・板倉勝静に騒擾を収めさせる。【王政復古の大号令】, 12月10日、議定・徳川慶勝、同・松平慶永、二条城に至り、慶喜に朝旨としての辞官納地(官位の剥奪と領地の没収)を伝える。城内は兵馬が参集し騒然とする。慶喜、返答は部下が鎮静するまで猶予を求める。旧幕府、高松、小浜二藩の兵に、二条城外弾薬庫を警守させる(12日に高松藩兵の警守を解く)。, 12月11日、旧幕府若年寄・大河内正質、若年寄並兼陸軍奉行・竹中重固等、二条城に麾下の士および会津、桑名二藩の重臣を召集し、鹿児島藩討伐の策を議すが、決せず。薩摩兵が来襲するという流言あり、参集した一万もの兵は迎戦の準備をはじめる者もあり。, 12月12日、議定・徳川慶勝、同・松平慶永、慶喜に、麾下の士たちを鎮めるために、下坂を勧める。同夜、慶喜、会津藩主・松平容保、桑名藩主・松平定敬、老中・板倉勝静等とともに二条城を出て、大坂城へ入る。旧幕府方の会津、桑名諸般の兵も随う。二条城の留守と鎮静は、水戸藩家老・大場一真斎ら、若年寄格・永井尚志等に命じられる。, 1月5日、新政府、徳川慶勝に命じて二条城を収管(接収)させる。城内の残兵を大坂へ送る。, 1月27日、太政官代(現在の内閣にあたる)を九条道孝邸より二条城に移す。学習院金穀出納所、会計事務裁判所を二条城内に設ける。, 2月4日、臼杵藩主・稲葉久通、三日月藩主・森利滋に命じて、二条城の柵門を警守させる。, 4月29日、名古屋藩兵の太政官代警守を解き、丸岡、岡田二藩兵に替える。また、名古屋、岡、飫肥、臼杵、秋月、高島、西条七藩兵の二条城柵門警守および高須藩兵の京都市中取締を解き、足守藩兵に市街を巡警させる(岡田藩兵は閏4月2日に任を解き、飫肥藩兵に替える)。田安亀之助、徳川宗家を相続して、徳川家達と名乗る。, 閏4月17日、二条城本丸に仮皇居(仮御所)を、二の丸に太政官代を建設する計画が出る(造営計画は実施されず)。, 閏4月29日、飫肥藩兵の二条城唐門守衛および和歌山、盛岡、松代、島原、久居、丸亀、臼杵、足守、高松九藩兵の京都市中巡邏を解く。, 7月6日、高知藩家老・毛利恭助、下村銈太郎、在京の藩兵が寡少であることから、二条城の守衛を解かれることを求め、請けいれられる。, この頃より、土手周囲の城塀の取り除きがおこなわれ、庭園整備のための樹木が購入される。, 5月23日、明治天皇、二条離宮(元二条城)に行幸する。旧桂宮御殿を「呈寿」と命名する。, この頃から、大正天皇大礼の準備にあたり、京都御苑、桂離宮、修学院離宮とともに二条離宮などの整備工事がおこなわれる。二条離宮では大饗宴の儀のため二の丸御殿南北が増改築、大改造される。, 9月頃、大礼を記念して、二の丸庭園滝の揚水ポンプ工事がおこなわれ、本格的に池に水をたたえる。, 室戸台風により、城内の樹木に大きな被害が出る。二の丸庭園の被害はわずかにとどまる。, 4月頃より、戦況緊迫のため、障壁画、彫刻、飾り金具などが取り外され、分散疎開させられる。, 3月29日、文化財保護法の制定により、二の丸御殿6棟が新国宝に、本丸御殿や隅櫓など22棟の建物が重要文化財に指定される。, 3月17日、城外東側に有料駐車場設置(昭和27、28年頃まで飛行場、のち昭和44年まで無料駐車場)。, 6月5日、狩野派による二の丸御殿内の障壁画954面(附62面)が重要文化財に指定される。, 収蔵庫復元、模写室として利用され現在に至る(模写事業は1972年より番所にて開始)。. 二条城前駅周辺 tourist_info 二条城内案内図 緑と花のご案内 新型コロナウィルスの影響で、実際の営業時間やプラン内容など、掲載内容と異なる可能性があります。 二条城前から二条への乗り換え案内です。電車のほかに新幹線、飛行機、バス、フェリーを使用するルートもご案内。ic運賃、定期券料金、時刻表、運行状況、駅周辺の地図も確認できます。航空券予約、新幹線チケット予約、始発・終電検索も可能 攻城団では不定期ではありますが、二条城のガイドツアーを開催しています。 おおよそ月に1回程度のペースで開催していますので(月によって複数開催することも開催されないこともあります)ぜひご家族やご友人とお誘い合わせの上、ご参加くださいね。 二条城前から樟葉への乗り換え案内です。電車のほかに新幹線、飛行機、バス、フェリーを使用するルートもご案内。ic運賃、定期券料金、時刻表、運行状況、駅周辺の地図も確認できます。航空券予約、新幹線チケット予約、始発・終電検索も可能 めぐる たべる あそぶ 京都自転車観光ガイド. 二条城前駅周辺 tourist_info 付近観光案内図 新型コロナウィルスの影響で、実際の営業時間やプラン内容など、掲載内容と異なる可能性があります。 二条城ガイドツアーのご案内 攻城団では不定期ではありますが、団長こうのがガイドをつとめるガイドツアーを開催しています。 ほぼ毎月開催されていますので、日程があえばぜひご参加くだ … 二条城 案内図. 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